このブログの運営者 まきの自己紹介

Hi 👋

はじめまして

ママと子どものエコの先生 まきです。

 

たくさんあるブログの中から、私のブログを見つけて頂きありがとうございます。

 

今日は初めましてなので、このブログの運営者のまきがどんな人物なのか まずは自己紹介させて下さいね。

まきってどんな人?

 

鹿児島生まれの田舎っ子

とにかくやんちゃな幼少時代

 

子どもの頃は外遊びが好きで、空き地に放置されていた瓦や木の板を使ってよくワクワクしながら秘密基地を作っていました。

 

カトリック系の幼稚園では、シスターのベールを外して怒られたり、家庭訪問の日はわざわざ、近道だからと田んぼの中を通って先生を家に連れて帰ったり、、

 

小さい時はとにかく、じっとしていることが出来ないおてんば娘でした。

 

モンテッソーリ系の幼稚園に3年間通っていたこともあり、そんな私でも受け入れてもらえました。

 

今、思えば、私の考え方や生き方はこの幼稚園時代の3年間の影響をすごく受けていると思います。

 

子どもの時から、子どもが大好きで、自分よりも小さい従兄弟と遊んだり、寝かしつけたりもしてました。

 

そして、5歳の時の誕生日カードには

『大きくなったら幼稚園の先生になりたいです』と書いたんです。

 

その夢を持ったまま、小学生、中学生と卒業して、高校では保育科のある高校を選びました。

 

高校時に3年間保育の勉強をし、保育士の国家試験を受け、無事に合格

 

その後は、幼稚園の免許を取るために、関西の短大へと進みました。

 

若い時の私は、噂ばかりを気にする田舎が大嫌いだったんです。

 

田舎から念願の都会に出て、初めての一人暮らし(短大の寮でしたが)

バイトしたり、コンパしたり、それなりに恋をしてどこにでもいる普通の短大生でした。

 

短大卒業後、就職したのは24時間の託児所

 

子どもはとっても可愛かったけど、職場は今でいうブラック企業

 

働いている保育士も少ない上に、24時間営業なので、夜勤も多く1週間、家に帰れない日々もありました。

 

結局、仕事のストレスから体調を崩し、とうとう腎臓に結石が、、、

 

勤務状態の改善をお願いしても改善されずに、同期全員一緒に辞めるという選択を最後はしましたね。 (涙)

 

その後は、オーストラリアに来る直前まで、公立の保育園で7年近く働いていました。

 

保育所の仕事は楽しかったし、大好きでした。

 

行事は多くて、会議も多い。

 

年配の先生と考え方が合わず衝突したこともありました。

 

年の近い先生と一緒に仕事の後に居酒屋に飲みに行き、お酒を飲みながら同期の先生とぐちをこぼしそれなりに楽しい日々を送っていました。

 

そんな私に転機は訪れたのです。

 

当時の公立保育園で働く私たちは条件もよく(公務員扱い)ボーナスも年に3回

年配の先輩たちはケタ近いのボーナスをもらっていたので、海外旅行にもよく行っていたんです。

 

そして、海外旅行好きのひとりの先生がふと

『まき先生はまだ若いからワーキングホリデーに行ったらいいのに?』

 

『ワーキングホリデー???』

 

ワーキングホリデーという言葉をその時初めて知りました。

 

当時の私は二十代

 

若いってすごい!

 

外国に住みながら、勉強したり働いたりすることが出来ると聞いてワクワク興奮しました。

 

ワーキングホリデーについて調べた私は、早速いける国を調べ、留学支援センターのようなところへ行き情報を集めました。

 

当時のワーキングホリデーの条件は

 

確か25歳以下

ワーキングホリデーでいける国は

オーストラリア、ニュージーランド、カナダの3つ

 

カナダは寒そうという理由で却下

 

ニュージーランドとオーストラリアで迷いましたが『どうせ行くなら暖かくて大きな国に行こう』という理由でオーストラリアを選びました。

 

オーストラリアは大きいので、暑い地域と寒い地域があるのですが、当時の私は勝手に青い空にビーチみたいなイメージをしていました。

 

決まってからは早い!!

 

ひとり暮らしのマンションをどうしようか決めて、職場にも辞めることを伝えました。

 

一番最後に、両親に事後報告

 

『オーストラリアに行くことにしたので仕事はもう辞めました。』という親には反対出来ない作戦をとりました。

 

仕事を辞める時には『公務員を辞めるなんてもったいない』とほとんどの友達に反対されました。

 

それでも、私は外国に行ってみたかったんです。

 

そして、2001年 24歳の私はオーストラリアのブリスベン空港にいました。

 

太陽がジリジリして見上げた空は青空で、暖かい気候は私を受け入れてくれたような気がしました。

 

学校3週間、ホームスティも3週間だけ

日本から手配しただけだったので、その後の

あてはなく、急いで次の滞在先を決定

 

3週間という短期間の英語の勉強をした後、学校の紹介で現地の幼稚園でボランティアとして働くことが出来ました。

 

実は短大の時、授業中に海外の幼稚園の様子を見てその中の一つにオーストラリアの幼稚園がありました。

子どもたちの目がとにかくワクワクと輝いていたのを覚えていて、『いつかオーストラリアの保育の現場をみてみたいなあ〜』と思っていた夢が叶いました。

初めての外国での暮らしは、慣れない環境でも、毎日がとにかく新鮮でした。

 

シェアハウスでは、色んな国の人と生活を共にしました。

 

そして、生活が落ち着いたころ、仕事も探し始め保育士の経験を生かして住み込みでオーペアというベビーシッターの仕事も始めました。

 

朝から夕方まで当時3歳の女の子のお世話をし、休みの日はジャパニーズレストランでバイトをするという生活がしばらく続きました。

 

そして、運命の出会いをしました。

 

オーストラリアのボーイフレンドが出来たのです。

 

恋は盲目というのでしょうか?

 

英語が出来ない私でも、『外国人の彼氏ができた』という恋に恋する自分に酔っていたのかもしれません。

 

ワーキングホリデーが終るときに一緒に日本に行きました。

 

その後、またオーストラリアに戻ってきて、その後、妊娠、結婚、出産をしました。

 

が、幸せは長く続きませんでした。

 

長男を出産して1年後

 

言葉の壁

考え方の壁

そして文化の壁

 

若い私はただ、初めての子育てで分からないことばかり

 

でも近くに相談できる人はいない

 

孤独で、孤独で、ただ、どうしたらいいのか分からなくて

小さい赤ちゃんを抱えた私は無力でした。

 

喧嘩は日々、絶えなくなり、とうとう別れることになりました。

 

シングルマザーになった私は、息子を外国で育てるために仕事を探さなければいけなくて必死でした。

 

その時に、外国で自分を武器に出来ることは『日本語を教えることだ。』と思い日本に帰国して1年間、日本語教師になる学校へ通いました。

 

オーストラリアに戻ってきてから息子とホテル暮らしをしながら家を探し、私が、ワーキングホリデーの時に体験したように、オーペアで子どもをみてくれる住み込みのベビーシッターを探し、昼間は子どもをみてもらい働くために保育園を探しました。

 

とにかく、必死で出来ることをしました。

 

日本語教師の仕事も探し、生活がやっと落ち着いたのは息子が小学校に上がる少し前でした。

 

当時の私は、夜働いていました。

 

大人、大学生に日本語を教えていたので、勤務時間が会社が終わってからの夕方からだったのです。

 

昼間は日本食レストランで働いていたので、息子が小学校にあがる時に、昼間にできる仕事を探し始めていました。

 

当時、息子はクリームブリュレが大好きでママ、世界で一番おいしいクリームブリュレ作ってというのが口癖でした。

 

私は『息子に美味しいデザートを作ってあげたい』

そして、また、『日本食が出来たら海外では強みになるかも知れない』と思い、料理の学校に通い始めました。

 

その時に今の主人と出会いました。

 

仕事、学校、子育てを両立させながら、

学校も無事に卒業し、その後はシェフとして働きます。

 

その間に娘を出産し産休後、また仕事に復活し

貯金も溜まってきたので、いつか自分でやりたいと思っていた飲食ビジネスを始めました。

 

お店は資金がかかりすぎるので、小さなフードトラックを購入

 

移動販売を始めました。

 

ようやく、ビジネスが軌道にのった1年後

三人目の妊娠が発覚しました。

 

移動販売の仕込みは、私が1人でしてましたし、

新生児を連れてシェフの仕事をすることは出来ません。

 

悩んで悩んで悩んだ結果、ビジネスをいったんお休みすることに決めました。

 

そして、子育て13年目にしてはじめての専業主婦になったのです。

 

保育士の経験のある私だから全然

大丈夫と思っていました。

 

でも、全然 大丈夫じゃありませんでした。

 

外で働いて保育園でみてもらった方が楽じゃんなんて思いましたもん。

 

『専業主婦ってこんなにも孤独なの?』

 

朝、パパは仕事、子どもは学校へ

 

赤ちゃんと私 2人きり

 

まるで無人島に私と赤ちゃん2人が残された気分

 

めっちゃ寂しいじゃん 

専業主婦って

 

『仕事に戻りたい』とパパに泣きついた夜もありました。

 

この子は何を伝えたくて、今、私のところに来てくれたんだろう?

 

とずーっと考えました。

 

そして、気づいたのです。

 

もしかして

 

ママ、ちょっと立ち止まろうよ。

ママ、ちょっと休もうよ。

 

忙しくて、仕事に家事に子育てを

毎日、毎日、ジャグリングしていた私に

 

お金と時間を追いかけていた私に

 

いったん 立ち止まって

 

人生に大切なものって何か考えてごらん

 

そのことを伝えるために3人目の息子は

私のところへ来てくれたのではないかと気づきました。

 

子どものために働いていたはずが

いつの間にかお金を追いかけ

子どもとの時間がとれていなかったんです。

 

もちろん、子どものために働くことも大事です!

 

私はライフバランスがとれていなかったのです。

 

それからは無いものにフォーカスするのではなく、あるものにフォーカスするようにしました。

 

自分のことを大切にしてくれる家族がいる

綺麗な花が道端に咲いている

空が青くて綺麗

 

小さな小さな幸せは、いつもあったんです。

 

私が見えなくなっていただけで。

 

何か大切なことを思いだした気がしました。

 

そして、専業主婦になって変わったことの一つに買い物がありました。

 

今までは、仕事帰りに、保育園、小学校の学童とハシゴし疲れた身体で買い物に行っていました。

だから、とにかく短時間で必要なものを買い物してました。

 

そして、専業主婦になり、子ども達が学校へ

行ってる間に買い物をゆっくりすることが出来るようになりました。

 

久しぶりの新生児用品

 

『良く分からない英語だなー』何が入っているんだろう。

と調べてみると、添加物、化学物質の多さに驚きました。

 

それからは、無添加やオーガニックのものを選ぶようにしました。

 

高いと思った時には自分で手作りするようにしました。

 

同時期に、長男(当時13歳)の息子が

僕、お肉食べるの辞めたいと言いだしました。

 

『中学生って食べ盛りなんじゃないの?』

『お肉食べなくて、成長できるの?』

と疑問に思いましが、理由を聞いてみました。

 

『どうしたの?突然』

『どうして、お肉食べたくなくなったの?』

そしたら、中学校で、『今日、環境のことを習ったの』と話してくれました。

 

私達がお肉を食べるために

牛に与えるために作る大量の食べ物と水

牛が出すゲップやおならが地球温暖化になること

習ったことを色々教えてくれました。

 

私は、全く知らなかったので、そこから本を読んだりして環境のことを調べていきました。

 

そこから、私のエコライフはスタートしました。

 

持続可能な暮らしをしていくことの大切さを

2人の息子が教えてくれたです。

 

私のミッション

 

それから、私は、今、自分の子どもが教えてくれたように、他の子ども達やママ達に『地球に優しい暮らしが、私達、人間にも優しい暮らしなんだよ』ということを伝えていくことをミッションとしています。

 

そして、このブログを発信したり

ママには蜜蝋エコラップのワークショップ

子どもには遊びのクラスを通して教えています。

 

自分の子ども達の次の世代

 

そして、その先の世代

 

2050年には海の魚より海のゴミの方が多くなると言われています。

 

いつの時代の子どもでも、子ども達には綺麗な海を見せてあげたい

 

地球は一つしかない私たちのみんなの家なんです。

 

私の夢

このブロブ【エコミュラ】に込められた思い♡

 

2020年5月にメルボルンブログからブログ名を変更しました。

エコミュラという名前は

  • エコ
  • コミュニティ

という3つの言葉から来ていて私が目指している暮らしです。

暮らしで自然と繋がる

人と繋がる

そしてそんなエコの輪を少しづつ広げていく

 

いつか、オーストラリアの田舎に大きな土地を買って自給自足のコミニィティを作ります。

 

大自然の中にあるみんなの家

 

日本からも、学校の休みに家族みんなで遊びにきてオーストラリアの自然の中で持続可能な暮らしを体験出来るような場所を作りたいです。

 

自給自足村にはオーガニック農園を作り、日本で震災が起こった時でも、野菜パウダーにしたりして物質の支援が出来るようにもしていきたい。

 

それが、海外で生きている私に出来る日本への恩返し

 

そして、何よりも、子ども達に『生きるってありがとうでつながることなんだよ』を伝え続けていくことが私の夢です。

 

オンライン上であっても、オフラインでも大切なのは優しさ

 

思いやりの気持ちが少しあれば

世界はもっと変わる

 

もうちょっとだけ

周りの人や

周りのものや自然に

優しくなればいいだけ

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

こんな私ですが、仲良くしてください💖